被害者から被害者へ当事者だったからこそ伝えたい。

逃げてきた私が思うこと

28歳主婦です。
いじめにあったのは小4、小6、中1、高1のころです。
今でも鮮明に覚えてます。
これだけあると、私に原因があるのかもと悩んだ時期もありました。

いじめられる方に悪いところがあったとしても、いじめる方が100%悪い。
今いじめにあっているあなたが悪いなんてことは全くないんだよ。

私は4回中4回とも逃げました。
不登校になったり、中退したり。
あのとき逃げなきゃよかったと思ったことはありません。逃げることは恥ずかしいことじゃないと私は思います。
勉強したいのに悪いことしてないのに、なぜ私が逃げなければいけないんだろうと、悔しいと思うし、逃げ癖がつくから頑張れという大人も居るけど、辛い時は逃げていいんだよ。
大人だって離婚や転職、その他いろんな逃げ道があるのに、子どもだけダメってことはない。

私は全部逃げてきたけど、今とっても幸せです。
いじめてきた奴らよりも絶対幸せになってやる!!って思って生きてきました。

絶対に幸せになれるからって保証はないけどでも、今不幸だから未来も絶対不幸だってことはないんだよ。

自分を信じて!

中学1年生です。
私は小学校6年間、いじめられました。
5、6年生のときにAさんが私のことを嫉妬していて、Aさんが先生に、私がやってもいないことをチクって、私がものすごく怒られて泣いたことがあります。すごく辛かったです。
それでも諦めずに学校へ行ってました。
いじめのことを親に話したら「(私は)男子から少し人気があるからかもね。」と言われて元気が出ました。
自分の良いところが理由になっていて、人と違っても悪いことなんてないことが分かりました。
今これを読んでいる人へ。
見方を変えて、自分の良さを探すと、人と違うところに価値が発見できますよ。
だから、悩んだらこの文章を読んで、元気を出してほしい!

辛かったら逃げてください。不登校は決してカッコ悪くありません。

私は現在中学1年生です。小学4~6年生でいじめられていました。理由は、何となくですが、私が周りのみんなと少し違うと分かったからでしょうか?私は生まれつきADHDを持っていて、自分の意見ばかり言ってしまって、なかなか人の意見をうまいこと聞けなかったり、人のことをにらんでしまったり、とにかく小1の頃から親にも学校の先生にもずっと言われてきました。親には「何であなたは言われたことが、みんなのようにできないの?」と言われていました。それは私が1番知りたかったです。何で周りと同じ様にできないのか?言葉が話せないわけでもないし、書けないわけでもない。普段の生活には支障なんて全くないです。でも、何となく周りと違った...。わずか小3にして自分はダメだと毎日思ってました。
小4の時にいじめに似た行為が始まりました。私が通っただけで避けられる、プリントを集める時に私のだけゴミを扱う様に持つ、ファイルを集めた時いじめてる友達の前が私で、その時に「(私の名前)と一緒に置かれる○○が可哀想」なんて言われたこともありました。
小5の時は私を完全無視してるかの様な状態でした。話してくれる子が指で数えるほどぐらいしかいませんでした。
小6の時、状況は少し変わりました。避けられてたとは思うけど、話してくれる子が少しはいました。あとは後輩の子が私の話を聞いてくれました。ですが、修学旅行の班は最悪で全く楽しくなかったです。夏休みの時にはみんなで映画に行くってなった時に、私だけ誘ってもらえませんでした。
ADHDで悩んでるのに、そこにつけ込んでくるかの様にいじめてくる。ほんとに辛かったです。中学校に上がるまでに何度も死のうとしました。遺書も書いたこともあります。でも死ぬことができなかった。悩むたびに後輩の子達が話を聞いてくれたから。だから私は少しだけですが救われました。
中学校は平和なクラスです。ですが楽しいと私が思うたびに、いじめられてた時の記憶が蘇る...。自分との葛藤が激しいです。でも楽しいです♪
中1なのであまり言えることはほぼないけど、覚えていて欲しいことがあります。辛かったら、必ず誰かに相談してください、辛かったら逃げてください、死ぬような事はしないでください。あなたの友達や家族が悲しみます。これを見ている人が少しでも今を生きて、偉いなと思える自分になって欲しいです。
いじめとは被害者やその友達、その子の家族までも傷つける最悪な行為です。誰かが悲しんでいたら、その手を差し伸べてあげてください。それだけで救われる子もきっといるはずです。自分を責めないで、私は学校に行きたくなくても学校に行けと言われましたが、学校に行きたくなかったら、休んだっていいです。不登校は決してカッコ悪くありません。大人になってあの時よく頑張ったねと、自分を褒めてあげられるように願ってます。

自力で這い上がった私、これから幸せを掴む決意表明として

私の体験談は少し他の人と方向性が違うと思う。これは、私が私の力だけでいじめを克服した話である。

私は幼少期から何となく人との違いを感じていて、小学校中学年あたりからそれが顕著になった。周りの流行や趣味についていけないし、周囲の子よりも病弱で、背丈も低かった。体力がないから走ることもできなかったし、話の空気、他人の感情を察するのがとても苦手だった。
小4の時から何となく周囲も、あいつは人と違うようなことを感じていて、あるグループから目をつけられ、私を責め立て、悪者にするような空気があった。
小5になってクラス替え後、同時期に元々あった持病が悪化し、月に数回、通院で学校を休むようになった。外見にも出るような症状だったため、いじめは顕著になった。俗に言う「ウイルスごっこ」をクラスの男子たちが流行らせた。
何回か先生が注意したものの、なかなか止まなかったが、小5の1学期の終わり、1度大きな学級会を開いて、夏休み前にいじめは一度収まった。
夏休みには病気も落ち着いていて、2学期からは普通に通えると思った。しかし、普通どころかいじめは悪化した。幼いながらショックを受けた。その後、ウイルスごっこや悪口はもちろんのこと、朝、私が教室に入る時だけドアの鍵をかけられたり、筆箱を隠されたり、机をベランダに出されたり、いじめは日常茶飯事だった。クラスメイトは私の行動を全て監視し、事あるごとに悪口やうわさ、叱責ぶった罵倒を浴びせた。

私は担任にもう一度学級会をするように頼んだ。しかし何を思ったか、私が改善すればいじめはなくなると称して、私の悪いところを発表する会のようなものに変わった。クラスの全員と担任が正義ぶって私に色々文句をつけた。ほとんどありもしない事だったが、当時の私もそれなりに人とずれていたので、完全否定はできない面もあった。

親からは、連絡帳に書いてもらったり、担任と連絡を取るようにしてもらった。ただ親は渋々応じ、味方になるどころか、「あなたにも何か原因があるんじゃないの?」ということを遠回しに何度も言った。家庭環境は悪くなかったものの、いじめを経験したことがない両親はあまり真摯ではなかったように思う。やがてウイルスごっこは学年中や他学年に広まり、私は有名人になった。友人は一人もいなかった。

中学校に上がってからは、自分は意外と勉強が出来ると気づき、中1の間はいわゆる「勉強ができるキャラ」として通ったものの、悪口を言われたり、先輩から目をつけられたりすることは少なくなかった。中2以降はクラスでも部活でも浮いた存在になった。中2の頃は、クラスは無法地帯のようだった。友達はいなかったし、ウイルスごっこが再開された。誰かを私の方面に突き飛ばす遊びが流行ったせいで数回怪我もしたが、そこまで大した問題にされなかった。小学校の頃のような目立ったものではなく、影でコソコソやられることが多かった。
部活は英会話や塾の習い事と兼ねられるように美術部に入った。部員とはなかなか打ち解けられなかった。唯一仲良くしていた友達は不登校になり、完全に独りぼっちだった。
表立って悪口を言われたり、馬鹿にされることもよくあったが、成績順位が片手で数えられるくらいには良かったのが心の救いであり、モチベーションであった。
中3は比較的平和なクラスになり、部活も引退し、いじめはなくなった。勉強を続け、合格率20パーセント弱だった難関私立に合格したことで私のいじめ経験は終わる。ちなみに中学校は皆勤賞だった。高校では普通に思い出を作り、そのまま大学にあがり今に至る。今は外見やコミュニケーション能力の研究をし、比較的明るいリーダーキャラとして、周りから親しまれるようになった。

先日、成人となり、小5の担任からフェイスブックでメッセージが来た。何事もなかったかのように絵文字が大量に投入された「お久しぶりです!成人おめでとう!メール」が届いたが、謝罪のひとつもないことには心底腹が立つので、小さな抵抗がわりにこちらに体験談を投稿することにした。

私は感情表現が苦手なので、この体験談に「こうして欲しかった」「辛かった」とわざわざ書くようなことはしない。ただ事実を書き、誰一人寄り添ってくれない中、そこから自分が今這い上がっただけの話と、これからも私は自力で出世と幸せを掴むことの決意表明としてここに記すまでである。
学年中、強いては担任や他学年までが敵になっても不登校になることもなく、自力で楽しい毎日を掴むことは可能だという証明になれば幸いである。

伝えることがあるとすれば、周りとの違いやズレはいずれ才能になるし、個人の努力次第で大人になってからいくらでも輝くことができる。
そして、なにか自分の心の拠り所を作ってもらえたらいいのかなと思う。学校外のコミュニティでもいいし、趣味でもいいし、持ってる才能を磨くことでもいい。なにか自分が夢中になり、日々の地獄を忘れられるものを作れば、いじめも必然と乗り越えやすくなるのではないかと思う。

今でも時々、この体験が夢に出ます

私は高校2年生の時にいじめを受けました。自分で言うのもあれなのですが、正直、今思えば理由は嫉妬(しっと)もあるのかなと思います。

その高校2年生の時に、担任から先生たちの会議で私が学校のパンフレットのモデルに決まったと報告され、それから私に対するクラスの女子9名の態度が変わりました。
「もっとかわいい人なら分かるけど、何であんな奴がパンフレットのモデルとか」「□□ちゃん(そのいじめてきた人たちと仲が良かった女子)の方がかわいいし、□□ちゃんがモデルをした方が入学したい人がいっぱい増える」「身長も低いのに」「○ねよ」「嫌い」「ムカつく」と言われました。
(いや芸能界とかじゃないんだし、普通の学校のイメージなだけで、別に顔とスタイルが良い悪いは関係ないでしょ!!)と思いました。

私はその人たちに何もしていないのに、悪いうわさをたくさん流されるようになり、(そのせいで同じクラスじゃない人や卒業生など関係ない人たちまで私のことを言ってくるようになる)、(私の名前)ブス、くさいと言われて笑われたり、体育で髪を結ぶだけでなぜか馬鹿にされたり、休み時間に少し寝ている時には「(私の名前)さん笑ってごめんね。そのまま永眠してほしいとか思っちゃった。」「○めこ○すぞ」と言われたのも、とても辛かったです。

少し近くを通っただけで舌打ちもされました。友達と撮った写真にも、SNSで「友達はかわいいのにお前はブス」「最高にブスじゃん」「お前の顔とか求めてない汚ねえ顔」と書かれたのも怖かったです。
そして私の悪口などを言うSNSのグループもできていることも知り、学校が終わって帰る時に後ろから「○ねばいいのに」「こんな奴の顔見たくない」と言われて笑われました。私はそれから教室に入れなくなって、学校も辞めてしまいました。

辞めた後も、一時期SNSでとてもしつこく悪口を書かれて、「あれだけパンフレットのモデルしてて、学校辞めるとかマジで笑える」と書かれていたことも、いまだに忘れていません。

いじめで学校が嫌だったりしたら、もう無理して行く必要なんてないと思うんです。勉強とかも、しようと思えば自分でもできますからね。
今でも時々この体験が夢に出てきたり、外出している時に、もしその人たちと偶然会ってしまったらどうしよう…と考えて怖くなることもあります。
だけど勇気を持って家族や信頼できる人に話せば、少しは楽になるし、それだけでも心強いですよ。実際そうでした。絶対に味方になってくれる人はいるし、みんな一人じゃないです。
長々とすみません。

一緒に頑張ってくれると嬉しいです

私は現在進行形でいじめに遭っています。小学校でのいじめは2回ありました。5年生で「死ね」と書かれた紙を机に入れられたけれど、当時の担任の先生のおかげでそれ以上は実際の被害は何もなかったです。6年生になって一軍女子のグループにいた自分でしたが、ある日突然、休み時間に呼び出されて、その日からクラスで「○○」と呼ばれてクラスのほとんどの人から避けられる日々が始まりました。これは卒業まで解決することがなく、担任だった先生も何もアクションを起こしてはくれませんでした。

中学生になっても、受験をしていないので半分くらいは知ってる人がいる中学校です。部活に打ち込むことで自分の居場所を見つけ、一部の人から避けられたり陰口を言われることに慣れてしまいました。そんな中、受験の山場となる中3の2学期、今までのいじめの何倍ものダメージを食らうことが起こりました。初めは机にぐしゃぐしゃの紙があり、「死ね」と。その翌週には「消えろ」と書かれた紙が入っていました。同一人物、同時の可能性もありますが、相当なダメージでした。学校に行くだけでエネルギーをものすごく消費して、紙を見つけた日からしばらくは教室が辛くて、動悸が止まらないほどでした。たまたまテスト期間に入って止んだのかなと思った矢先、今度は筆箱がなくなりました。最初は『自分が失くしただけだ』と思ったものの、どこを探しても見つからず、今も見つかっていません。

小学生のことは、忘れこそしないものの、そこまでとらわれることはないです。中3のことは(自分で言うことではないのは承知の上で)かなり心の傷が深く、自分の気持ちに大きな影響を与えたと思います。親との関係があまり良くないので、相談したり、学校を休んだり、ということができない状況です。

私は人に心を開くまでに時間がすごくかかります。だから本音で話せる人は少ないです。一番話すのは教科の先生です。何度も相談に乗ってもらい、その先生の前で幾度と知れず涙を流したこともあります。私は一時期、『自分はもうだれにも必要とされてないんじゃないか』『生きてる意味ない』『消えたい』と思ったことがあります。でも、その先生がそっと手を差し伸べてくれて、かけてくれた言葉がたくさんあります。「学校にはおいで。いつでも話聞くから。」「本当に必要としてなかったら心配したり話聞いたりしないから。」「ひとりで抱え込むのだけはだめだから。」「無理しなくていい。」…書ききれないけど、本当に多くの言葉に救われました。忙しい合間に、朝でも、給食の前でも、授業のあとでも、本当にいつでも助けてくれます。

今でも『生きてるのが辛い』って思うことはあります。しばらく経ったのにフラッシュバックで苦しめられることもあります。リストカットした跡だってあります。でも、私みたいな人は、これ以上増えないでほしいと願っています。いじめは本当に辛い。良いことなんてひとつもない。

これだけは言わせてください。これを読んでいる皆さんが本当に苦しくて辛くて悩んでいることはすごくよくわかります。そして何より、すごくがんばって毎日を過ごしていることも。だから自分を褒めてあげてください。そして誰かひとりでいいから、自分の本音を話せて、支えてくれる人と出会ってください。

『自分なんて』って思う日があるかもしれないけど、あなたを必要としている人は絶対にいます。綺麗事に聞こえるかもしれないけど、死んじゃわないでください。これは私の1番の願いです。いじめによって命を絶たなきゃいけない、そうするしかないような状況にだけはなってほしくないです。私もがんばって毎日を生きていきます。だから無理はしないで、一緒に頑張ってくれると嬉しいです。それが仲間だから。

友達を自分で選ぶことができなくなっていました

壮絶ないじめか、と聞かれると大層なエピソードは少ないのですが。
昔から気が小さく自信がなく、特にこれといった特技もなく。
そんな平坦で淡白なモブキャラが私でした。
小学生の頃はただ優位に立ちたいだけのいじめっ子たちに誘われるがまま、鬼ごっこで鬼をさせられ、追いかけ続けて、笑われるだけの休み時間を過ごしてました。
悔しかったけれど、誘ってくれるんだから「友達」なんだと勘違いしてました。

中学生になったときには既に、誰かの引き立て役や八つ当たりの対象になっていました。
それでも「独りじゃないんだから悲しいはずない」と思い込みました。
だから笑顔でいました。誰より明るく振る舞いました。お芝居でもなく心から愉快で素直な自分でいたはずなんです。

高校生。知り合いのいない学校に通い、「友達」に囲まれた底抜けに明るい自分になりました。
平気で誰かをおとしめて、気分で関わる相手を変える人間が私の周りにはあふれていました。
でもその頃には、友達を自分で選ぶことができなくなっていました。

大学生になっても同じ、『車を出してくれるから』『お金を貸してくれるから』そんな理由で寄ってきた「友達」と中身のない生活を送りました。
私のいじめ体験は暴力こそほとんど経験していませんが、大人になった今確実に何かを壊されて来たという実感が残っています。
結局、人との距離を自分の意思でコントロールした経験がなかった私は、大学2年のころ爆発したかのように全ての人間関係を断ち切りました。

そのとき、やっと1人になれた気がしました。
その後に出会った歳の離れた人たちに倣って派手な服を着たり、目立つ髪にしたり、流行りに乗って鍛えてみたり。
流行りに影響されたくてもなんだか周りを気にしてできなかったことができるようになって、少しずつ自分の好きなことが分かってきた気がします。
着飾って、やせて、好き勝手してる今の自分が過去1番素敵だなって思います。

10年以上たった今でも、失った時間を思ってみじめさを感じることはあるけれど、学生時代の「友達」を断ち切った後にできた職場やネットでのつながりが私を救ってくれました。
友達は選んでいいんです。
読んでくれたあなたが、自分を好きになれますように。私の文が何かのきっかけになれますように。

生きてきて良かったと思えるような人生を自分にプレゼントしたい

私は10年間いじめにあってきました…。
最初はただ無視されるだけでしたが、徐々にいじめの種類は増えていきました。小学生の頃から始まっていたため、中学1年の最初は同じ小学校の子からのいじめだけでしたが、2学期になると学年中に私の全く正しくない噂が広まったり、嫌なあだ名が流行ったりして、一気に私の心は辛くなりました。しかも、加害者が私と同じクラスでもありました…。いじめが酷くなる中、周りはみんな笑って見ているばかり。友達も見て見ぬふりで、味方は誰もいなくて、とても孤独な戦いでした…。
中2になる少し前に、担任へ助けを求めた結果、私は助けてもらうことが出来ました。いじめは無くならなかったけど、最低限、酷かったあの時よりは楽に過ごすことはできたと今では思います。

高校は同じ中学校の子がいない所へ入学しました。しかし、何故か中学校の頃と同じく、正しくない噂を広められ苦しみました。フラッシュバックもあり、多くの場面で辛くなることが多かったです。
高2の後半になると、私のことを周りが知ってくれたことで、噂はデマであると理解してくれました。そして、高校2年で、とある先生と出会ってからは本当に心からこの高校にきて良かったと思える毎日を過ごせています。今でもフラッシュバックは多く、特に勉強の内容がトリガー(きっかけ)になりやすいので、高校のその先生に助けて貰って、今は受験に向けて頑張ってます!!

小学校の頃に誰かに相談すれば最低限、加害者と同じクラスではなかったのでは?という意見を先生方からもらうことも多々ありました。しかし、私の家庭状況は複雑だったため、相談は難しかったです。それは今も昔も変わりません。今でも家族にはいじめのことは話せていません。もちろんフラッシュバックのことも。

でも、私を支えてくださる人はいます。私はよくその先生に「今は本当に狭い学校という世界しかあなたにはないかもしれない。でもこの世の中には必ずあなたを助けてくれる人がいる。それが見つかるのが早いか遅いかだけ。」って言われます。その手を差し伸べてくれる人が友達かもしれない、家族かもしれない、先生かもしれない、ネットの人かもしれない…私はたまたま中高の先生だっただけ。

今、私は将来の夢を叶えようと勉強を頑張っています。あの時辛くても生きてきて良かったと思えるような人生を自分にプレゼントしたいからです。

今、被害を受けている人たちはきっととても辛く、孤独かもしれません。そして未来なんて分からないって思う人もいると思います。実際私も生死について考えることも多々ありました。時には逃げたって良いんです。頑張りたいなら頑張れば良いと思います。私もそうだったから。でも、自分が思っているよりも今まで十分頑張ってきてるはずだと思います。だから自分を大切にしてあげてください。

私が一番誰かに言ってほしかった言葉

 私は中1です。いじめを受けたのは小学4年~6年までの期間でした。その間だけでも5回ぐらい、いじめられました。今でも、なぜいじめられたのか分かりません。内容は無視やお気に入りの物が壊れていたりなど。そのあとは女子トイレでの脅しや暴言の数々。そのあとまた、物が壊れていたり無くなったり落書きなどなど。その都度、担任の先生や校長先生、親と相談をしてなんとか乗り越えていました。
 ですが、一番辛かったのは6年生後半のいじめ。仲が良かった友達の数人が無視や素っ気ない行動をとってくることでした。「いじめから守るよ!」と言ってくれた友達がいじめをするなんて…本当に辛かったです。でも、親になんて相談すれば良いか分からず、人間不信になり、ストレスも溜まり、毎日が辛かったです。
 私はそのまま卒業し、小学校が同じ人がいない中学校に行きました。今も人間不信で学校を怖がっている状態ですが、小学校の時より楽しいです。
 私は中学生なので何を言えばあなたが少しでも前を向けるかはよくわかりませんが、あの時私が一番誰かに言ってほしかった言葉を書かせていただきます。
 「大丈夫、あなたは一人じゃない。辛いなら相談すれば良い。出来ないなら逃げれば良い。あなたの今の苦しみはいつかあなたを苦しませる人に返っていく。辛いのは今だけ。いつかあなたは幸せになれるから、今はただ生きて。」

味方でいてくれる人は見つかるはずです。私にとっては学校の先生でした。

 私は中3の秋にいじめに遭いました。机の中にはぐしゃぐしゃになった紙があり、そこには心無い言葉が書かれていました。でも、自分の性格的にやるべきことをやり遂げなければならないという思いがあり、すぐには周りに助けを求めず、ひとりで抱え込んでいました。
 そのような時、私は保健室に行きました。保健室の先生はそんな私に「保健室」という居場所をくれました。私の場合は人に心を開くまでにすごく長い時間がかかります。当時、担任の先生には全く心を許せていなかったので、いじめに関しても話すのが難しかったですが、隣のクラスの先生は自分の気持ちを理解してくれて(いじめ被害の経験があるそうです)、そこで初めて涙を流しました。
 次の日には、一番心を開いていて、大好きだと思える先生と話しました。その先生は自分の表情の変化に気づいてくれて、「今日、暗くない?何かあった?」と聞いてくれました。「話聞こうか?」と言ってくれて、打ち明けました。ボロボロの心に優しく接してくれて、本当に救われました。その先生に「辛かったね。私でよければいつでも話聞くから、一人で抱え込まないで話しにおいでね。」と言ってもらえたので、ギリギリの状態ですが学校に行くことができました。
 学校に行けてるならいいじゃん、と思う人もいると思います。その気持ちはわからなくもないですが、私の心は今、すごくボロボロです。学校行くのも怖いし、教室に入ることも怖い。さらに、家にも居場所を感じられない日々が続いています。腕には針やシャーペンで引っ掻いた傷が無数にあり、自傷行為もやめられない状態です。
 今、いじめに遭っている皆さん、辛い気持ちは痛いほどわかります。ですが、誰か必ずあなたの味方でいてくれる人は見つかるはずです。私は学校の先生でした。それが家族かもしれないし、友だちかもしれないです。
 誰もわかってくれない、気づいてくれないというあなた、自分が信頼できる人に話してみてください。自分で思っているよりも周りは変化に気づいてくれています。それでも誰も見つけられなければ相談機関のWebサイトを見てみてください。初めから相談なんて難しいのはよく分かります。だからWebサイトを見て『こんなのがあるんだ~』ぐらいに思っていると、爆発しそうになったときにあなたの助けになると思います。
 長文失礼いたしました。私は今でも辛い日々は続いています。でも、誰かに話したら楽になることもあります。辛い思いをしている皆さんが少しでも気持ちが楽になれることを心から願っています。

いじめはいじめた人が100%いけないんです

 私は小中高と12年間、陰湿ないじめに遭い続けていました。バカ、アホ、ドジ、ばい菌、死ね、ブタ、デブ、ここから飛び降りろ、消えろ…ありとあらゆる誹謗中傷を浴びるのが日常茶飯事でした。私は普通の学生生活を送りたいだけなのに…何も悪い事してないのに…。
 具体的なことを書けば、小1の時、廊下で転ばされて手をグリグリ踏まれました(まだまだ序の口)。小3の時、いじめっ子の誕生日会(ホームパーティー)に行く羽目になり、そこで半袖半ズボン姿で雪降る極寒の地に放り出され、鍵を掛けられ凍え死にそうになった事もあります(親が加担)。因みにそのいじめっ子はかなりの美人&お嬢様で豪邸に住み、お母さんも上品で綺麗なマダム。親子して美人なのに心が荒んだ悪魔でしたね。鍵を掛けた時の冷酷な笑顔、今でも忘れません。
 小5、6の時には上級生と運動会の二人三脚を組んで練習していた時、わざと猛スピードで走り出した為ついて行けず転倒、血だらけになりました。
 中学生になったらいじめがエスカレートし、私物を切り刻まれたりトイレの個室で用をたしてる時ホースやバケツでずぶ濡れにされたり、机に花瓶とお花を置かれたりしました。無視や私に触る罰ゲームが流行ったり、私物を女子トイレの便器に捨てられたりもしました…。高校生の時にはひたすら無視され続け、完全孤立状態でした。
 心を閉ざしていた私ですが、その後進学した福祉の専門学校でようやく人間として、同じ目標を目指す同志として受け入れてもらえ、救われました。いじめっ子への憎しみは消えないし時間は戻ってこないけど、ようやく掴んだ幸せでした。

 この12年間、先生や親に相談しようとした事はありましたが「チクっただろ!」と言われいじめがヒートアップする事が怖く、なかなか言い出せませんでした。変に心配を掛けたく無かったのもあります。意を決して先生に話した事はありましたが、「いじめられるあなたにも原因があるでしょ?」と真剣に話を聴いてくれず諦めました。そして人間不振になりました。学校には行きたくなかったものの、休んではいじめっ子の思う壷だと思い、意地で通ってました。
 私は何がいけなかったのでしょう…。真面目過ぎたせい?いじめっ子に逆らったせい?ダサかったせい?

 今いじめで苦しんでる皆さんも、きっと自分にも非があるのではと悩んでいるかもしれません。でもこれだけは言えます、いじめはいじめた人が100%いけないんです。
 もちろん努力次第で運命は少し変わるかもしれませんし、自分の短所を改善する努力は必要かと思いますが、自分を卑下する必要はありません。そして辛い時は学校を暫く休んだり中退しても良いと思います。
 どうか自分を愛してあげてください。
 辛い時はどうか一人で抱え込まず、心許せる方に、警察に、専門機関に勇気を出して話してみてください。泣きたい時はいっぱい泣いてください。あなたは一人じゃないよ。

傷ついた心、時間が経ち・・・今

私は小中高大学までいじめられっ子でした。

小中時代は発達障害ということを理由に、同級生や先輩、後輩にいじめられました。特に、周囲に影響力を持つ同級生がいたため、その子の影響でいじめられました。
しかし、私だけでなく、他の同級生にも一部いじめられている人がいると知ったときは、一人じゃないと思いました。結局、その子とは皆縁を切りました。

ところが高校に入学後、いきなり出会って間もない人に無視されました。理由は、キモいから。何故キモいかっていうと、元々私は見た目が全く可愛くなかったから。同級生からあまりいい印象を受けなかったからかもしれません。もしあの時に化粧とかイメチェンやダイエットをすれば、見た目も変われたし、印象が変わればいじめはなくなったかもしれません。

大学時代も踏んだり蹴ったりでした。特に寮生とは仲良くなかったし、どんどん関係が悪化して、居心地が悪くなったため、そのまま逃げるように寮を出て一人暮らしを始めました。また、大学でも友達が離れていき、孤立しはじめました。

その学生時代のいじめがやがてPTSDとなり、二次障害と診断されました。

その時、ある福祉施設を紹介されて、今の福祉施設に通所していくうちに、私だけでなく、利用者の人も、離婚や生活保護、病気などで苦しんでいる人たちが沢山いて、苦しんでいるのは私だけじゃないと気づきました。今も入所してから一年経ちますが、何らかのご縁で今の施設にいられて幸せです。

そして現在見た目も昔から変わり、今でも可愛いとか年齢より若いとかしょっちゅう言われます(笑)
時々、旅行もしています。今はお金がなくて困っていますが、念願の着物体験もできて幸せです。

そんな小さな幸せをコツコツ積み重ねていけば、心が満たされ、やがて傷ついた心も癒されていくでしょう。

あなたはもう十分すぎるほど頑張っている

私は小学2年生から卒業するまでずっといじめられてました。
何でターゲットにされたのはわかりませんが、気づいたらいじめられてました。
2年の時、クラスでとても仲がいい子がいて、マンションも同じでした。
でも私に対していじめが始まるとその子も離れていきました。
最初は4、5人ぐらいの少ない人数の男子にからかわれたり、悪口を言われてたんだけど
よくわからない噂や、デマなどを広められて気づいたらもうすでにクラス全体にいじめられてました。
無視、悪口、陰口、仲間外れ、あだ名、あとは砂を投げられたり、鉛筆やコンパスを投げられたり、つねられたりされました。
私の場合はばい菌扱いだったから、基本的にみんなわざと近づいて私をタッチして、そしてほかの人にまたタッチしたり、授業中や給食などでわざと机を離したりしていました。
先生には相談したんですが、そんなの気にしないの一言で終わるし、親も無視しなよって言うだけ。
気にしちゃうから相談してんのに、、、って心の中でいつも泣いてましたw
私の親は不登校させてくれなかったので、いじめを理由に学校を休んだのは一回もないです。
今はもう中学2年でいじめっ子もほかの学校なのに、毎日しんどいです。
いつでもあのいじめられた日々を思い出して、つらい思いしてます。

もしこれを見てるあなたがいじめられているのならば、できるだけ逃げてください。
相談するとしたら絶対信頼できる人にしてください!
わたしみたいにいろんな人に相談してしまって、結果人間不信になるのはやめてくださいw
あなたはもう十分すぎるほど頑張ってるはずなので、つらいときは無理しないで。
あなたにしてやれることは今なにもないですが、私はずっとあなたの味方です。

自分を理解してくれる人に出会って

大学生です。
私がいじめられるようになったのは、小学校入学当初からでした。31週という早産で生まれた私は先天性の小脳低形成があることもあり、生まれた時から医者に「リハビリをしないと歩けないかもしれないし、歩けたとしても身体面は周りより遅れるし劣る」と言われていました。作業療法士さんのリハビリを1年受けて歩けるようにはなりましたが、身体面の劣りと遅れが目立ったまま小学校に入学しました。

小学校に入学し、まずあだ名によるいじめが始まりました。また、見た目が周りと全く変わらないのに、階段がゆっくりでしか降りられない、体育でボールがよく顔面直撃し保健室行きになる、ボールを相手に返せないので2人組が作れないなど、体育は配慮がなければこなせないというのが、なかなかクラスメイトから理解されず、陰口や仲間外れをされ、からかわれるのも入学当初からでした。あだ名と体育でいじめられるのが自分でどうすることも出来なくて苦しみました。得意不得意が両極端で実技科目が周りと同じように全くこなせず、主要科目は得意で常にクラスでトップで、ストレスを感じずにいられる時間は主要科目の時間のみでした。体育をやればやるほど周りとの差を感じ、辛くなって、いじめのストレスも積み重なった結果、爪いじりと鼻いじりという自傷行為をするようになり、さらにいじめがひどくなって精神崩壊し、気づいたら小学4年の前半になっていました。それまでの先生達も理解してくれていじめを止めようとはしてくれていましたが、先生達でもいじめを止める事が難しくなっているくらい、いじめがひどくなっていました。

ここで大きな転機が訪れました。小学4年の担任の先生がひそかに色々考えてくれていたのです。担任の先生に呼び出されて何かと思ったら「今度の道徳の時間に生まれた時の事から全部話していい?」と言われました。唐突すぎて最初よく分かりませんでしたが「いいですよ。」と答えました。先生は道徳の時間に早産であること、体育等が苦手なのはちゃんとした理由があること、周りと同じようにこなせず苦しんでいること、いじめで自傷行為がひどくなっていること等を全て話してくれて、「みんなで支えてあげようよ」って声を掛けてくれました。また、その後に時間が余っていて何をするのかと思ったら、先生が「長所を発表していこうよ」と言い、クラスメイトが長所を言って担任の先生が黒板に書き始めました。私は黒板を見た瞬間過呼吸になるんじゃないかと思うくらい号泣して、限界がきていたことにやっと気がつきました。その瞬間いろんなクラスメイトから「何も知らなかったのにごめん」って言われて、あだ名いじめと身体面のいじめはなくなりました。ただ自傷行為に関するいじめは少し残っていました。

さらに担任の先生は中学をどうするかも考えてくれていて、家庭訪問で「頭いいし、手を抜かないし真面目だから、中学受験して中高一貫校に行ってリセットしてみない?」と提案してくれました。おそらくこのまま普通の中学に行ったらまたいじめられるし、いじめの二次障害で自分から集団に入っていくのが怖くなっていて、中高一貫に行ってリセットする形でしか可能性はないって、先生は分かっていた部分があったのかもしれません。

その後、先生方の配慮も受けながら小学校を卒業し、中高一貫校に進みました。中高一貫校に入学する前に、校長先生から中高一貫校の方に、身体面の部分を相談してくれていたようで、最初から先生方が配慮をしてくれました。ところがここでも小学校のいじめの二次障害で新たな壁にぶつかりました。体育の2人組は相変わらず作れず、先生と2人組を組み、常に孤独で自傷行為が収まらず自傷行為に関するいじめを受けていました。また、女子何人かに凄い見られているって避けられていました。自分から集団に入っていく方法も分からないし、自分から入っていった後の反応がなんか怖くて、毎回周りの様子を伺って、でも自分からいこうとすると小学校の時のいじめがよみがえってきて、結局自分からいけなくて、じろじろ見ているという誤解を生むだけの状態が続いていました。そして高校を卒業しました。

大学は幼い頃の恩返しをしたいと思い、作業療法学科に進学しました。大学生になってやっと自分から集団に入っていけるように少しずつなってきました。何でそうなってきたかというと、体育がすごい緩かったり、私と体育で2人組を組んだらどうなるか分かっているはずなのに何も文句言わないで2人組を組んでくれたり、常に一緒にいる友達が複数人出来て、体育とか友達関係のストレスが減ったからだと思います。やっと爪と鼻いじりを人が見ている前ではしなくなって、体育と友達関係が高校まできつかったんだって気がつきました。また、実習も力が普通より弱い部分やバランス感覚がないのを配慮していただきながら何とかこなしました。

その後、大学3年になってゼミ担任が小児科医であったことから、新たな事が発覚しました。その先生は私のゼミ担任になる前から、どんなに筆記科目で頑張っても実技科目でそれ以上に私が成績下げたり、レポートの考察が毎回周りより浅かったり、抽象的な質問された時に意図が読み取れてなくていつの間にか少し意図からずれた答えをしていたり、目の前で想定外なことが起こると訳が分からなくなって動けなくなることが多かったりした私を見て、なんとなく発達障がいがなんとなくある気がしたらしいのですが、ゼミ担任になって発達障がいの人達が一番苦手な部分が要求されやすい実習の様子を実習担当から聞いたときに、やっぱりアスペルガーだって思ったらしいです。

今まで気づかれなかったのは「得意不得意が両極端だけど、臨機応変に動くことが小中高ってあんまり無いし、運動苦手なのもどちらかといえば早産が原因だから早産で説明つくし、それで勉強は得意で筆記試験は強いからこそ気づかなかったんだと思う」って言われました。発達障がいの特性とかも授業で習いますが、確かに触覚過敏で身体領域の授業の時に友達におもいっきり触られると耐えられなくて笑っちゃうのとかもアスペルガーの特性にそっくりでした。

またゼミ担任と初めて面談した時に、「今までよくここまで頑張ってきたね。すごい真面目だからみんなと合わせなきゃって思うかもしれないけど、無理して全部みんなに合わせたらしんどくなっちゃうから。ユニークで魅力的な部分はたくさんあるから普段は○○さんらしく笑顔で周りに無理して合わせなくていいからね」とか、「もう大人の世界だから自分から集団に入っていくの怖がらなくていいし、作業療法士として働いている時間だけ、苦手な部分はアドバイスもらいながら、どれだけ時間かけてもいいから、ゆっくり良くしていけばいいから」ってゼミ担任が話してくれて、やっと自分らしくていいんだと思えて自分らしさを出せるようになってきました。

今は面談も人の話を聞きながらメモをとるのが苦手なのでボイスレコーダーをOKにしてくれたり、最大限の配慮をしてもらいながら卒業に向かっています。就活もゼミ担任が早産の身体ハンデもアスペルガー傾向が強いのも先に配慮面を考えてくれたお陰で、何かしらハンデを抱えながら働いている職員が複数人いて、配慮の体制が整っている病院への内定が早めに決まりました。

最後に、
いじめは必ず終わりがきます。そして辛いのに私みたいに無理して学校にいって心が壊れるくらいだったら休んでいいと思います。また、周りに無理に合わせようとしなくていいと思います。

オーストラリアで、今は誰よりも幸せです

ずっといじめは続きません。終わりは必ず来ます。
あなたにはみんなにない魅力があるから嫉妬されてしまっただけ。
自分の居場所は学校だけじゃない。
辛かったらいつでも逃げて大丈夫。

私は28才で、英語と旅行が大好きです。
小5~高3までいじめられていました。ずっとではないですが、所々です。
いじめは突然やってきました。
小5の時、好きな人を皆の前でばらされ、夏休みにはみんなで行くはずだったプールに私だけ誘われませんでした。遊びに誘われても誰も来なくて、待ち合わせ場所で一日中友達を待っていたこともあります。「背が高いから男だ」「ケツデカ」と悪口も言われました。美術で描いた絵にバケツで水をこぼされた事もあります。

中2の時には、6人の仲良しグループの交換日記が突然回ってこなくなりました。『話しかけてこないで。もう友達じゃないから。』と書かれた手紙を渡されました。周りの子は彼氏がいなかったけれど、私はできたのがキッカケです。お弁当を食べるときも机を合わせてくれませんでした。遊園地や映画のチケットをまとめて買わされたけれど、私だけ誘われませんでした。お気に入りの赤いパンプスも盗まれました。彼氏と別れたら自然といじめは終わりました。

三者面談の前の週には近況シートのような物が配られました。
仲良い友達の名前・クラスに問題はあるか・困っていることはあるか、等の項目がありましたが、正直に書いたことは一度もありません。親に絶対バレたくなかったし、先生は助けてくれないと知っていたからです。

高校は中学の友達が誰もいない所に行ったけれど、また無視が始まりました。お弁当を一人でトイレで食べたこともあります。卒業式に「勉強も運動も真面目にやってなかったくせに成績が良くて大学の指定校推薦を取ったのがむかついた。無視してごめんね。」と謝られました。

いじめに遭っている時は辛かったけれど、バイトや好きなことに集中していました。英語と旅行です。家族で海外旅行をしている時だけはとてもリラックスできたから。

大学卒業後はオーストラリア留学をしました。
肌が白い人・黒い人、背が高い人・低い人、細い人・ぽっちゃりした人。色んな人がいました。みんな自分に自信があって輝いていました。いじめは滅多にないそうです。
私は自分には魅力がないと思っていたけれど、沢山魅力があると言われました。
私の居場所はここだ、と思いました。

それから5年、オーストラリア人と結婚してシドニーで楽しく暮らしています。
あの時は辛かったし、今もその人たちが憎いけれど、今は誰よりも幸せです。
今はどんな困難も余裕で乗り越えられます。

いじめられている時はとても辛いと思うけれど、終わりは必ずきます。
100才までずっといじめられている人なんて聞いたことないでしょう。
あなたが人に持ってないものをたくさん持っているから、嫉妬されてしまうだけです。
少し大人な考えをしてみると、いじめっ子ってとてもかわいそうなのです。
ポジティブに考えると、あなたには良い所が沢山あるのです。

もしも耐えられなくなったら逃げて大丈夫。居場所はどこにでもあります。
好きなことだけは追いかけて、追いかけながら自分の居場所を探してみて下さい。
絶対に幸せになれるから。

あきらめないで

私は、小5の時にいじめを受けていました。
主にAちゃんからやられてたということで説明させてください。
最初は、いたずらみたいな感じで、バスで寝てたら執拗に足を踏んできて笑ったり、いきなりくすぐってきたりして、いじめとは程遠い状況でした。でも、そこで私はやめてということができませんでした。Aちゃんは、クラスの優等生&ムードメーカーで人気があり、本気でやめてと言ってしまったら仲間はずれにされてしまうのではないかと不安だったのです。だから、ヘラヘラと笑って誤魔化していました。でも、「いたずら」はどんどん悪化していきました。バスの中でいきなりランドセルを開けられて、「勉強できるのかな~」とテストの貼られたノートを見て私の学力を知ろうとしたり、ランドセルをそのまま閉めずに変な形にして私の反応を面白がったり。
もっと嫌だったのは、自分が本気でやってるバイオリンを馬鹿にされたことです。Aちゃんは中学受験をしますが、私はしません。そのことで、
「勉強出来ないんだ」と言われ、さすがにムッとした私は
「私にはあなたが塾行ってる分バイオリンがあるから」と言うと、
「勉強できなきゃ音大にも行けないじゃん。それにバイオリンなんて勉強より意味ないし、バイオリンの方が簡単でしょ。」と馬鹿にされ、とても悔しかったのを覚えています。
さらに乱暴なことをされて眼鏡が危なそうだったので、「眼鏡が壊れるからやめて」と言うと、「メガネなんてどうせ1~2万ぐらいでしょ?そんな物も買えないような家庭なわけ?」と言われたり。
係活動の時、私にだけは席を貸してくれなかったり、私が会話に入ろうとすると
「あなたは関係ないでしょ」と追い払われたり。
最悪なことには、いじりのようなものがクラスにも広がっていきました。
係活動で絵を描いていた時、何人かが寄ってきて、「絵が下手」「字が下手」「色のセンスが悪い」「こんなの誰も欲しがらない」「ダサい」と言われて、すごく落ち込みました。Aちゃんが一番最初に言い始めたせいで、広がったのです。結局、その絵は破り捨てました。
あるときは、仲が良いと思っていた子が、私に見えるように他の子に私の悪口を言ったり。この頃から、「猿」「のろま」「亀」とか、変なあだ名もつけられました。
なんで。なんで私はなにも悪いことしてないのにいじめられなきゃいけないの?
なんでいじられなきゃいけないの?なんでわたしだけなの?なんでそんなこと言うの?どうして。
私はどういう存在なの?私はなんなの?
毎日いらいらしていました。毎日悩んでいました。

でも、私はとても幸せでした。理解してくれる大人に恵まれていたからです。
お父さんお母さんおばあちゃんに話しました。そしたらみんな、「私は悪くない。大丈夫。」と言ってくれました。
そして、先生にも相談した方が良いと言ってくれました。私はすごく迷いました。チクったとバレたら?先生は理解してくれるのか?しかも私が受けたいじめはテレビドラマみたいに過酷じゃない…大げさな子だと思われたりしないだろうか?直接言えなかった私は、手紙で先生に伝えました。すると先生は、すぐに対策をとって、Aちゃんをはじめとした人たちに謝らせて、解決してくれました。

このようなことで解決できたのは、真剣に考えてくれる大人がいたからです。
大人に相談できない、相談しても取り合ってくれないという人も多いと思います。
でも、あきらめないでください。
相談するのが怖いという人へ。チクったとばれたら…と怖い。家族と仲が悪いから言いにくい。色々な事情があると思います。
でも、あきらめたら終わりです。直接言うのが怖い人は、私みたいに手紙で書くとか、メールを使うとか、ネットで相談するとか。あきらめず、自分の相談しやすい方法を考えてください。
家族や担任の先生に相談しても取り合ってくれなかったという人へ。
友達や親戚、習い事の先生、校内で優しいなって思う先生や生徒。とにかく自分が思いつく限りの人に相談してください!周囲の人じゃもう無理となったら、こういうネットの相談所を見るとか、とにかく探し続けてください。自分の命のためだと思ってください。
どうか、あきらめないで。
前を向いてください。
あなたはいじめている人の何倍も美しい。
だからあきらめないでください。
私からのお願いです。

一人で抱え込まないで

 私は小学校入学から3年間、いじめられました。まず、最初入学した学校での悪口がとにかく凄かったです。正直、低学年のレベルじゃないものでした。ギリギリ聞こえるところから「あいつ死ね」「キモすぎ」と言われました。その後、小2の後半に祖母からの虐待から逃げるため母と引っ越して、やっと解放されるかと思いましたが、転校先の学校でもっと酷いいじめが始まりました。直接言ってきたり陰口言っていたりは、正直もう慣れていたけれど、服で隠れているところを殴られ蹴られ、毎日のように机や手さげ鞄にクレヨンで「死ね」と書かれ、ある時は棒人間の頭がとれて首から血が出ている絵が描かれていたり、上履きがゴミ箱どころか校庭のゴミ収集場所に捨てられていたりしました。辛かった。でも、母も仕事で遅くまで忙しそうで、余裕がなさそうだったので相談できませんでした。
 その後、母が何を思ったのか久しぶりに祖母に連絡したところ、ある程度の仲直りに成功し、実家のある市の隣の市の小学校に転校できました。それからはいじめがなくなり、今は中学3年生です。中1で少し悪口が悪化した時もありましたが、前ほどはひどくならなかったです。私の歴史はこんな感じです。
 皆さんに伝えたいのは、誰でもいい、家族でも、友達でも、教師でも、なんなら一人で心療内科に駆け込んでもいい、少しでも相談できる人を見つけて欲しいということです。匿名で相談できる電話やSNSの機関もあります。絶対一人で抱え込まないでください。そして死にたいと思っている人、そんなくだらない奴らのためにこれからの大切な人生を無駄にしないでください。これから時間がかかるかもしれないけれど、必ずいつか幸せが訪れます。確かにトラウマは消えないけれど、それでも生きていて良かったって思える日が来ます。必ず来ます。頑張りすぎないで、あともう少し踏ん張りましょう。

君の心と身体が壊れてしまう前に、どうか学校から逃げて。

今、これを見ている君が、どれだけ辛いか。
私も助けを求めて、インターネットの世界でいじめについて調べていたからよくわかるよ。

私は今、23歳です。
いじめに遭ったのは18歳の秋ごろ。
受験勉強が佳境に入った時期だった。
高い目標に向けて、鬼のように勉強をしていた私の姿をよく思わない連中に目を付けられてしまったの。
体育のバレーボールでミスしたら、わざと舌打ちをされたり「使えねーな」と暴言を吐かれたりした。
そして、運動が苦手なのを逆手にとって、わざと私の方にばかりトスをされた。
とっても恐ろしくて心臓が締め付けられたり、全身が震えたりした。
仲間外れにされたり、無視されたり、体操服をゴミ箱に捨てられたり、聞こえるように悪口を言われたりした。
私の心は確実に擦り減っていった。
何より悲しかったのは、首謀者が3年間同じクラスで、いつも一緒にいた子だったこと。
担任の先生が説得しても、いじめは収まらず、それどころかエスカレートしていった。
最初、私はこれがいじめだと気づかなかった。
ドラマや漫画の世界の出来事で、自分には一生縁がない行為だと思っていたからだよ。
だから親にもうまく説明できなかった。
「学校に行きたくない」って言うのが恥ずかしかったんだ。
なんだか尻尾を巻いて逃げたみたいで。

でも、私は声を大にして言いたい。
故意に人の心を傷付ける卑劣な連中がいるような場所、行っちゃダメだよ。
私の親は「立ち向かえ」「学校に行かないのはおかしいだろ」と言って、私が自分の脚で自転車を漕げなくなっても、無理に通わせた。
ターゲットが決まった以上、連中はその場にいる限り追い詰めてきた。
私は当時、誰も自分の苦しみをわかってくれないことに絶望した。
今まで頑張ってきた受験勉強も手がつかなくなった。
何をしていても涙が出たり、全身が震えたり、いじめっ子の顔や声が脳内を支配してきたの。

私は限界を感じた日、1人で勇気を振り絞って心療内科に行った。
先生も親も助けてくれないなら、自分で自分の心を治すしかないと思ってね。
お医者さんは初めて私の苦しみを理解してくれて「学校に行くべきではない」と言ってくれた。
でも、私は未成年だから治療を続けるには保護者の同伴が必要だと言われたの。
私の親は「それじゃあなたの負けじゃない」と言って、通院させることなく、無理やり登校させ続けた。
もし、今、周りに君を救ってくれる大人がいなかったら私と同様に心療内科を受診したり、近所の交番に駆け込んだりしたっていい。
学校の先生はあてにしちゃだめ。
君の心と身体が壊れてしまう前に、どうか学校から逃げて。
私は無理に通った結果、PTSDという心の病気に罹ってしまった。
ふとした瞬間に、いじめのことを思い出したり、心臓が張り裂けそうになったりするんだ。
私は、絶対君にはこんな思いをさせたくないよ。

今君は、家と学校が世界のすべてのように思えるかもしれない。
でも、決してそんなことはない。
家出したって不登校になったっていい。
死ぬよりよっぽどね。
私はその後、大学に入学して、私のことを理解して愛してくれる友達にたくさん出会えた。
最初は女の子の群れが怖かったり、教室に入るのに一大決心をしたりしないとだめだったけどね。
それくらい、一度ズタズタになった心は脆いんだ。
それに、恩師と呼べる先生にも出会えてやりたかった勉強に熱中できた。

新しい世界に出てみよう。
君の命を、君を蔑み、苦しませ、尊厳を踏みにじるような連中のせいで犠牲にするなんて私が許さない。
そして君と、将来大切な人との間にできるかもしれない君の子どもが、人を傷付けない人であるように、心から祈っているよ。

一歩を踏み出した時に得られるものもあります。

私は、中学校2年生のころ部活内でのいじめの対象となりました。理由は、私の運動神経が他のメンバーより劣っている上に、朝の練習に出ることができなかったことで、不満が出たということでした。しかし、当時の私は、共働きの両親に代わり、祖父母の介護をしていたために、朝早くから学校に行くということは非常に困難を極めました。一方で、球技が好きだったこともあり、部活を辞めたいと思う気持ちはありませんでした。
私へのいじめは、最初は部活の道具が無くなっていることに始まりました。そこから鞄に液体をかけられたり、ケータイを勝手に取られたり、SNSで私のことを罵倒していたりしました。幸いにも私は当時、スマートフォンを所持していなかったため、直接見ることはありませんでした。
しかし、私は、一人でした。親に言えば、ただでさえ忙しいのに私の為に迷惑をかけてしまう。友達に言って何かあれば友達もいじめられるのではないか。先生に言えば、いじめが酷くなるのではないか。そのように思い、黙っていました。
そんなある日、親に「学校でいじめられてないか」聞かれました。当然私は「いや、何もないよ」と言いました。その時に、母が自身のスマートフォンを提示しました。それが先ほど述べたSNSの書き込みです。私の友達がSNSで見つけ、彼女の母親から私の母親に連絡がきたという形だったそうです。母が「娘がいじめられていることに気が付かんかった。ごめんなさい、ごめんなさい。」と涙を浮かべて私に謝りました。今でも忘れることはできません。その後、友人や母、加害者側、その両親で話し合いの場が設けられ、謝罪をされました。
しかし謝られても、当時の苦しい、嫌な記憶が消えるわけではありません。当時の私は自殺も考えました。しかし、自殺をしても根本的解決にはなりません。当事者である自分がいないからです。加えて、自分以上に辛い想いをする人がいます。彼らと過ごした日々を考えた時に私は、思いとどまりました。
いじめられている当事者は今がとてもつらく、苦しいです。でも、人生生きていれば、楽しいと思える瞬間も多くあります。
何が大切か。それは、周囲の友人、親、先生、その他大人を信頼する事です。もちろん、それに踏み出す一歩には相当の勇気がいります。しかし、その一歩を踏み出した時に得られるものもあります。

あまり深く考えない様にしています。

小学校5、6年の時に、仲間はずれをされていた時期が一時期ありました。
仲間はずれしていたのを先生が見つけてくれて
その見つけられた翌日に、情けないと感じつつ、先生とふたりで話しました。
先生が理解してくださり、やった仲間全員を呼び出して話し合いをしました。
気持ちを分かってくれた仲間が「ごめんね」と謝ってくれました。
小学校は、ツライ思いも有り、楽しい思いも有りながらの卒業でした。

中学生に入り、すぐ、思春期ニキビを気にして
部活動の女子からいじめを受けた時期が一時期ありました。
先生が腹を立ててくれて全校集会をしてくださり、
卒業する年に、部活動の女子が謝ってくれたから、
最後の卒業式には、卒業アルバムに寄せ書きしてくれる程仲良くなりました。

ツライ気持ちはありますが、謝って一時期、仲良くしてくれたから、
長い時間と共に、小学校の仲間はずれと中学生のいじめについて
忘れています。

嫌で思い出すことも、度々あるけど、あまり深く考えない様にしています。

色々割り切りながらも、今は、社会人で20代後半だから
10年経ち、嫌な気持ちにならないようになりました。

我慢する努力より逃げる勇気の方が重要です。

私も結構長い期間いじめられていました。幼稚園での仲間外れから始まりました。小学校低学年では殴られる、物を盗られるなど、小4で父親の転勤で転校することになり、いじめから解放されたと思いきや、1年後には余計酷いいじめに遭うようになりました。トイレでは大のときは上から覗かれ、小だと後ろから引っ張られて邪魔され、靴に画鋲を入れられ、また、100m走の記録が嘘だと信じてもらえず、嘘つきだと言われ、中学校では体毛が濃いことをからかわれるうえ、後ろから襲われたときには眼鏡を壊され、裁縫の針で尻を刺され、高校では学業の成績で馬鹿にされました。
今は学生ではありませんが、当時を思い出して、今も辛いです。我慢して通学するよりは学校を休むなり、フリースクールや通信制に切り替える必要があったんだと思います。いじめから逃げることは恥ずかしいことではありません。我慢する努力より逃げる勇気の方が重要です。

誰でもいいので、相談してみてください。

幼稚園の頃、年長の人に、腕を掴まれて後ろに強く引っ張られて殴られそうになりました。運良くよけましたが、その頃から、人のたのみごとを断れなくなり、怖くて、人の前では本当の自分を出したことがありませんでした。
2年生の頃、男子にいじめられてアザや傷がたくさんありました。それは、2年間続きました。4年生では、関係無い話に巻き込まれ、何ヵ月も6年生に探されて石を投げられたり、近くを通りすぎただけでも「あいつじゃない?きもっ」とか言われたり、苦しみました。もともと私は、外で遊んだり激しい女の子だったけれど、その件があり、教室から出られなくなったり、学校以外、外に出られませんでした。今5年生なのですが、好きな男の子ができて、最初は、仲良くなかったけれど、だんだん仲良くなり、ついには、恋愛はうまくいっていたといえます。でも、3年生からずっと私のことをいじめていた人が、「○○は、あんたのことが、好きなんだってー」って言ったそうです。うまくいっていたのに、人生をこわされました。もともといじめられていたこともあって、わたしを支えてくれる人がほしかったんです。いやなことは、その人に伝えてなぐさめてもらいたかったからです。こんなことですが、本当につらかったです。6年間いじめられていたので、思い出すだけで死にそうです。
でも、この世には、自分を支えてくれる人はたくさんいます。何かつらいことがあったら、仲がいい人、家族、親友、誰でもいいので、相談してみてください。少しでもこころは救われるし、安心できます。

人生を壊される前に逃げてください。

僕は、高校三年の受験期前にいじめられて、現在不登校になっています。

友達はいたのですが、一部男子からの陰口などが原因で廊下を歩くことさえ苦痛になってしまい、結果的にうつ病になってしまいました。

今、いじめを受けている人は、僕のように壊れてしまう前に逃げてください。

僕は逃げたことによって、また立ち上がることができつつあります。

お願いだから、人生を壊される前に逃げてください。

結局はいじめてる奴等は1人では何もできやしない。

中学2年の夏休みに、部活に一緒に行っていた仲間4人グループから、突然自分だけが待ち合わせの時間をずらされて、そのグループからいじめを受けました

いじめる側にもいじめられる側にも問題はあったと今では納得していますが、
その当時はあまりのショックで部活には一切顔を出さなくなりました。
僕の場合は逆に沸々と怒りがこみ上げて来て、いじめてる側の奴等を無視し、あっさり友達の縁もこっちから切ってやりました。

そのお陰か新たな友達が出来て、その後の中学生活は何とか問題なく過ごせました。

結局はいじめてる奴等は1人では何もできやしない。こちらが引き下がっておどおどしている姿を見て喜ぶものだと思ってからは、逆にくそくらえと自分に言い聞かせそのグループには敢えてこちらから反撃してやりました。

僕は逆に開き直りました。「1人なら1人で上等?くそくらえ」と負け惜しみだったかもしれないけど、その姿を見ていた他の人からの受け入れがあったのが僕の救いでしたが、1人でも負けないで欲しい。

辛いのは長い人生のうちのたった数年ですから。

いじめ相談をしてください

私は、今、中1です。
小学6年にいじめを受けていました。
いじめっ子は10人で私1人を囲んでいじめました。
ストレスがたまり、勇気を出して「やめて」と言いました。
私はもとから、いじめられっ子でした。
今もいじめられています。今のいじめっ子は8人です。
なぜ、私をいじめるのか、わかりません。

最後に、全国のいじめられっ子の皆さんへ。
いじめられても、はずかしがらず、
「やめておねがいだから」と言おう。
もし、いじめられてストレスがたまったいじめられっ子は、
いじめ相談をしてください。

自分の光を見出して

中学から高校まで、同じ部活のAさんから絶えずいじめを受けていました。理由は、「うん」しか返事をしないから。私も、自分の存在を消していた時期と重なっていましたから。Aさんが話したことも無い人に噂を吹聴するので、「あの人」と指をさされ、大声で笑われました。いじめの理由は他にもありました。「いつも笑顔でいて幸せそうだから」。しかし、後でAさんは父親からDVを受けていたことが分かりました。私自身も、子どもの頃、家庭環境が辛くて悲しい思いをしてきました。大人になった今でも、そのことは誰にも話していません。しかし、もし過去に戻れるならば、いじめをした相手と私も同じ経験にあったことがあるので、「私もDV受けてたよ。あなたの気持ちが良く分かる」と話しかけていたら相手の屈曲した心を少しでも変えられたかもしれない、と悔やんでいます。

ゲンコツされた経験のある人なら、手をグーに振り上げられたらとっさに身をすくめるのと一緒で、虐められた人は反射的に萎縮してしまうと思います。私も、そうです。

そこで萎縮したっていいんです。身を守るために。ただ、「私なら相手にこうして貰えたら嬉しい」という心のアンテナだけは、できる限り張っていてください。それが人生の光になります。どんな暗闇も、生き続ければ光になります。誰かを変えることよりも、自分の心の闇を知って、何も無いところから自分の光を見出だしていってください。

困難が海の波のように打ち寄せる度に、願いが叶わなくてこれ以上起き上がれないと感じたときも、未来を悲観することはしないでください。自分を嫌う心に浸らないでください。いつかは、わずか数センチでも、過去の自分を乗り越えていますから。

大事なのは自身が今どうなりたいか

小学生のときにいじめを受けました。私にとって加害者は、安心だった日常に突然現れ、恐怖と支配を持ってきた侵入者でした。

いじめは後々も対人関係に尾を引きます。こころに受けたトラウマの回復は容易ではなく、そちらにこころが支配されれば勉強もままなりません。抜け出すには時間もお金も精神力もかかり、私は人生の大半を対人不安と共に過ごさねばなりませんでした。

いじめは大なり小なり無くなる事はないと思っています。酷い言い方になるかもしれませんが私は運が悪かったとだけ今は考えています。何故なら起こった事にいくらしがみついても過去は変わらないからです。大事なのは自身が今どうなりたいかだと思います。

昔は「逃げるのは情けない」と言う時代でしたが、現在はそうではないと思います。リスクももちろんありますが色々な事に価値を見い出せ、また多くの人たちとインターネットで繋がれる時代です。

変わりたいと思うのであれば最終的には動くしかありません。私はそこを行政が支援しながら多くの人たちに協力してほしいと思っています。

高校2年からの2年間、いじめにあいました。

私は今50歳です。
高校2年からの2年間、いじめにあいました。なぜいじめの対象になったのか今でも理由は分かりません。今ほど陰湿ではなかったとは言え、クラス全員から無視され、ロッカーさえ使わせて貰えず、体育の授業で2人組での行動もさせて貰えませんでした。その状況を担任に相談しましたが、いじめにあっている私に問題があると言って、取り合って貰えませんでした。また、放課後教室に置いてあった鞄から財布が抜き出されお金を盗まれていました。
日を追うごとにクラスだけでなく、他のクラスでも、一部の人から汚物のように言われたりするようになりました。
同中から友人だと思っていた人達からも、私と同じ学校で、「高校生活の楽しさが半減した」とバスの中で一般の人もいる中で言われました。なんでいるんだと。
「学校に行きたくない」と両親に言うと、高い金払っているんだからいじめ位で休むなと叱咤されました。親からも理解されないのは、とても辛く悲しいです。私はいらない人間なんだっていつも考えるようになりました。だんだん自分にも自信がなくなり、人の顔色を伺い見る自分に嫌気がさしました。
そんな中で唯一の救いだったのが、科の違う数人の友人がいた事でした。
その友人達が、いじめにあっている私を受け入れてくれ、避難場所となってくれていたお陰で高校を卒業できました。その友人達とは今でも付き合いがあります。
ただ、いじめで受けた心の傷は、自分が思っているよりも深く、今でも対人関係において恐怖を感じます。そのストレスが強くなると、いじめにあっていた高校時代の夢を見ます。30年以上経った今でも時々、私は必要のない人間なんだと思う時があります。
結婚して子供を産み家族を持った今でも、いじめにあった高校時代に悩まされています。そして今でも自分が嫌いです。
でも、今いじめにあってる人に学校に行かなくても良いんだよって伝えたい。死ぬほど思いつめた時、逃げても良いんだよって。ありきたりの事しか言えないけれど、自分だけでも自分を信じて好きでいてあげて下さい。自分で自分を嫌いだと、悲しいですから。

将来は絶対私のほうが幸せになるから

私がいじめに合ったのは小3、小6、中1の頃です。
詳しく書き始めたら長くなってしまいますが、無視されたり、金銭を要求されたり、たくさんありました。
学生の頃というのは学校が世界の全てで大人からしたらただの一時のコミュニティーといったい感じですが、学生の頃は学校で無視されたり、一人でいるということが本当に辛くて世界の終わりというような感じでした。
死にたい、今死んだら楽になる、そんなことばっかり考えていたような気がします。
ストレスで体調不良を繰り返し、したい勉強もこそこそとしかできない、そんな生活が本当につらかったです。
先生や親といった周りの大人のおかげでいじめはなくなって卒業もできました。
私の場合ですが、いじめっ子は学校の先生の娘が主犯でした。
当時は絶対に許すことができない、名前を出して人生終わりにしてやる!とかなり恨んでいました。
いじめをしていた人が今後悠々と生活していくなんて本当に許せない。
けど、私の親以外、大人はみんな口をそろえて「反省しているんだから許してあげてほしい、その子の将来もある」と。
いじめられっ子が立ち直ったとき、いじめた子の将来は保証されるんだなとすごく納得がいかなかった。
私が今遺書を残して死んでこいつの名前が世に知れたら、、なんて考えました。
そこで私は自力でこいつよりも将来幸せになってやる!!!という気持ちを原動力にして生きてきました。
中学の頃も、高校の人間関係でいろいろあった時も、こんな姑息な奴よりも私は絶対に幸せになると考えて生きてきました。
人それぞれ幸せの定義はあると思います。
バリバリ仕事をして立派に生きていくこと、早く結婚して家庭を持つこと、など。
私の考える幸せの定義は「早く結婚して家庭を持つこと」でした。
実際、いじめていた人たちよりもいち早く結婚して幸せに暮らしています。
今は私よりも優位に立っていて誇らしいかもしれないが、将来は絶対私のほうが幸せになるからという思いでいると本当に気持ちが楽になりました。
そう思うのも一つの手じゃないかなと思います。

小学生5,6年から悪口を言われました

小学校の5,6年でクラスの男子から悪口を言われました。元々早口なのと、相手の質問に答えられなかった事で「はてなっぺ」との不愉快 なあだ名をつけられました。触れればバイ菌扱いです。当時の担任の先生に訴えても、「反省しているんだから」で終了しました。何の解決にもなっていないのに。その後も悪口は続き、バイ菌扱いされ、果ては空気のような存在でした。
中学に進学しても、それの主犯何人かは同じ学校で、同じ部活でした。部活では審判役を回さない、回しても嫌そうな顔をする。別の女子生徒からは直接何を言われるでもありませんでしたが、近くで床を踏み鳴らされました。中学では我慢の限界でお膳を机に叩きつけてしまった事があり、やっと先生が向き合ってくれました。しかし、こちらから関わらなければ良いのだと判断して、彼らと接点など持たないようにしました。それが手っ取り早い方法だったから。
高校は市内を離れた事もあり、いじめに遭う事なく穏やかな日々でした。市外の高校を進めてくれた父に感謝しています。

自分を責めないで

小学6年生の時に自分以外のクラスメイト対自分でかなり陰湿ないじめを受けていました。卒業まで続き卒業文集の寄せ書きにもクラスメイトほぼ全員にほぼ同じ文言を書かれました。
でも今、高校生になって友達もたくさんできたし完全にその時の名残りが消えたわけではないけど学校生活がとても楽しいです。今はどんなに辛くてもいつか必ず楽しい時がやってくるからとりあえず生きてください。自分を責めないでください。いじめはいじめた人が悪くていじめられた人は悪くないです。絶対悪くありませんから。

くるしかったら逃げていいんです

私は小学校のころにいじめられていました。
当時の担任も、見て見ぬふりをしていたのでとてもくるしかったです。死にたいと思ったこともたくさんありました。
でも、死ぬのが怖い、ちょっとでもいいから希望をつかみたい、という気持ちから今は、後遺症と闘いながら日々を生きています。生きていれば必ず光が見えてきます。くるしかったら逃げていいんです。
不登校はかっこわるくないよ!

辛いなら助けてと伝えること

僕は小学5年生~高校1年までの6年間いじめを受けていました。小学6年生の時僕は中学校の特別支援学級の見学に行きました。小学校に帰るとクラスの1人から「障害者、死ね消えろ、汚い臭い、邪魔どけお前。」と言われました。

しかし同じクラスの子が「何を言うんだ辞めろよ。」と言って止めてくれました。少し安心しましたが、また悪いことを言われました。でも人を頼る事は一番大切、誰かに頼る勇気はあまり無いけれど自分が弱いなら人に助けを求め、自分の苦しみが少しでも楽になれば良いと思います。辛いなら、助けてという顔をしたりして伝える事を、やってほしいです。

周りの友達の勇気や優しさが,その人を救うことができます

中学生の時、所属していた女子ソフトテニス部で、Aさんを標的にしたいじめが起きました。いじめの首謀者のBさんを中心に、数人の部員がAさんを無視したり、陰口を言ったりしていました。中には傍観者となる部員もいました。
私はBさんに、「いじめグループの仲間になって」と言われました。しかし私は、Aさんが悲しむことはしたくないと思いました。Bさんに悪く言われても、決していじめに加担することはせず、Aさんと一緒にいるようにしました。しばらくして、顧問の先生が手厚く指導して下さり、いじめの問題は収束しました。
Aさんは、「あの時一緒にいてくれたことが、本当に心強かった。ありがとう。」と深く感謝してくれました。このことは、今でも私の誇りです。
部活では、私自身がいじめの標的になったこともありました。辛い時も多々ありましたが、Aさんや他の友達がいつも勇気づけてくれました。
いじめを受けている人は、本当に苦しく、悲しい思いをしています。しかし周りの友達の勇気や優しさが、その人を救うことができます。
もし誰かがいじめられているのを見つけたら、勇気をもって話しかけてください。そして、先生や周りの大人に報告してください。その行動が、誰かを救い、あなたの誇りとなります。

あれは忘れもしない中一の3学期。

今考えればもっと周りの大人に相談すれば良かった事ですが、当時は皆私の敵にみえてました。
いつも一緒にいたAは結構口が軽くすぐに何でもバラすので私は彼女には一切陰口は言わなかった。でも、どうしても我慢できないことがあってクラスメイトBの陰口をAに言ってしまったんです。そしたら案の定、翌々日…集団無視が始まりました。同じ学年の部活仲間にも話は回ったのでしょう、もちろん無視。先輩が気づかないようにされていたので辛かったです。
もう学校には行きたくなかったけどここで諦めるのも馬鹿馬鹿しいし一日だけ休んで母から担任へ聞いてもらいました。しかし、大した事ではないから気にしないで学校へ来なさい(笑)と。正直、呆れたし何も相談しないと決めました。次の日クラスへ入った途端、静かになる教室…胸が締め付けられてとにかく苦しかった。なんであの時言ってしまったんだろう…しばらくはこれしか考えられませんでした。

しかし、それも長くは続かずすぐにクラス替えがあり元のクラスメイトとは全く一緒にならずに済みました。新しい友達とこれから楽しく過ごそうと決めていたし、何でも話せる友達もできました。一連の出来事も思いきって話しました。そしたら、全く知らなかった。そういう時は他のクラスに助けを求めてもいいんだよ!そうじゃなきゃ潰れちゃう!と叱ってくれた友達。今はあの時の出来事があったからこそ大好きな友達には優しくできるし大切にしたいと思えます。ちなみに、Aやいじめの先頭に立ってた人は卒業するときには孤立してました。

とにかく助けを求めること。
信用出来なかったら、電話相談すること。
辛い事はずっと続かないです。
辛い思いをさせた人は必ず辛い思いをします。
だから、思いきって相談する勇気を持って欲しいです。

独りじゃないよ!

【いじめられているこどもたちへ伝えてください】

いまは逃げる場所や相談できるところが沢山あります。
学校の先生は中立を保たないといけないので、頼りにはできないと思ってください。
ただし、居場所を求めて素行の悪いグループに入ってはいけません。
女の子の場合、男性にすがってはいけません。

いじめられていても、勉強や趣味を一生懸命やるのはあなたの自由です!
沢山勉強をすると、悪い人に出逢う確率が減ります。
あとはマナーや身だしなみに気をつけ、気づかいを身につけましょう。
そうすると、進学先、就職先、友達の選択が広がり、良い人間関係につながります。

いじめは記録に残しましょう。やられっぱなしは終わりにしましょう。

自分が明らかに悪かった場合のいじめは相手に謝りましょう

あなたは断ることができる
よくないことに誘われたり、頼まれたりしてイヤだなと思ったら、断っていいんです。
わざと自分の苦手なことに誘ってくる人もいます。
どっちみち陰口になるので、関わるだけ無駄です。

大人はいじめっ子と話し合ったり、いじめられる側が変わることでいじめを解決させようとします。
でもそれはドラマやマンガの世界。まずは、逃げましょう。

いじめられる側が我慢するばかりの社会はなかなか変わりません。
でも、いじめっ子はこちらが我慢するほど偉い相手なのでしょうか?違いますよね。

大人社会にもいじめはありますが、理由のはっきりしたものが多いです。
また、良くない人(集団)ならば、裏での評価はやはり悪く、
こっそり自分の味方をしてくれる人も出てきます。
いじめのひどい会社はネット社会なのである程度分かります。

学校より大人社会の方が生きやすいです。
だけど、あまり勉強をしていない人の集まる職場は、子供社会のままなので選ばないで。

最後に‥‥
【いじめられているということは、いじめてくるような人と仲間にならずに済んでいる】ということです。
距離が置けるなんてむしろ幸運です!

関わったら実はいい人だったなんて、そんなことはありません。
いじめグループは、大人になればどのみち仲間割れし解散します。
あなたは、関わらずに済んでいるのです。

いじめに立ち向かわなくていいんです。逃げたっていいんです。

私は中学時代いじめられていました。悪口以上のこともされたりしました。そのころは学校が嫌で嫌でたまりませんでした。親に心配かけるのも嫌だったので我慢して学校へ通っていました。毎日朝のテレビ番組の運勢コーナーを見ては、自分の星座の順位に一喜一憂しながら自分を奮い立たせていました。
私自身大人しく、いじめに対して明確に反抗できませんでした。しかし悔しい気持ちもあり、どうにかしてこの状況から抜け出したい、何とかしたいと思っていました。
口げんかや腕っぷしではかなわないが、何かいじめる子たちより優位に立てるものはないかと考えたとき、それは勉強でした。また、勉強して上の高校へ進学すればいじめた連中とも会わなくてすむ、今の状況も終わると思いました。それ以来より上の高校へ行こうといじめられた悔しさを勉強にぶつけました。
当然授業中もからかわれたりしましたがその悔しさもさらに勉強にぶつけました。その甲斐あってか定期テストで学年一番になることが出来ました。学校の先生も褒めてくれて自分に自信がつきました。
その後も勉強に励み自分に自信がついてくると言動や態度もしっかりとしてくるのかいじめは自然とおさまっていきました。そして勉強のおかげで地区最上位の高校に合格することができました。
私自身いじめに立ち向かったわけではなく逃げました。幸い逃げた先が勉強だったため自信やいろいろなものを手に入れることができました。
いじめに悩んでいる人へ。いじめに立ち向かわなくていいんです。逃げたっていいんです。でも逃げる先は自分を打ち込めるものの方がいいです。その結果、最終的には「逃げる」が「勝ち」に繋がります。希望を捨てないでください。

自分が自分を好きになれるかどうか

私は幼稚園から高校まで、どの学校に通っているときもいじめに遭いました。
約十五年間です。あまりにも多くいじめを経験したので、他人といることを楽しいと思えなくなりました。容易に人を好きになれなくなりました。
今でも楽しいという感覚と、好きという感覚を封じ込めて生きています。周りの同年代の子たちが、豊かな友人関係、幸せな恋愛関係を築けているのが、理解できません。なぜそこまで人間関係を楽しめるのでしょうか?
昔はここまで人に対して臆病ではなかったのです。いじめを受けてからです。
加害者は人にこのような影響を与えていて、何も責任をとりません。謝罪もしません。
事の重大さを理解せず、のうのうと人生を生きている加害者たち。
人に対する友情や愛情を持つことができず、加害者に対する憎しみばかりがある、自分が嫌です…。
自分が前向きに生きることができるかどうかは、自分が自分を好きになれるかどうかにかかっていると思います。それにより自尊感情や自己肯定感を持てると思います。
まだ完全に立ち直ったわけではないですが、少ない経験から言うと、何か夢中になれるものを見つけて、他人からそれを褒めてもらう、認めてもらう。その積み重ねが大切になってくるのではないかと思います。

いじめ克服の体験談募集

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