被害者から友人へ助けてくれてありがとう。
私を救ってくれたヒーロー
私は、中学1年生の2学期から、ずっといじめを受けてきました。どうしていじめを受けるようになったのか、私には分かります。
私は小学校2年生の頃から、ある格闘技をやっていました。でも実際は、大会も常に1回戦負けで一度も勝ったことなんかありませんでした。そんな私のあこがれは、1つ学年が上のA君でした。A君は常に全国大会に行っていて、その上、とてもかっこいいので、私はその頃からたくさんA君と喋ったり、家に遊びに行くようになり、親同士も仲良くなりました。
中学校でも、A君と同じ学校になりました。2年生だったA君はその頃も全国大会に行っていて、学校内でも人気者でした。ある時、私が何度もA君と喋っているのを見てた先輩や同級生たちが突然、私のことを「ブス」や「お前死ね」「A君と喋んな」と口々に言ってきました。その暴言は時が経つに連れ、殴られたり蹴られたりと暴力になっていきました。道場で会うA君に「(私の名前)、なんかひどい痣あるよ大丈夫?」と聞かれても、私はA君と喋ったら殴られるという恐怖感で何も話せませんでした。
私が中学2年生の5月、いじめはまだ続いていました。中学3年生のA君はその日、全国大会に行っていました。A君が居ない学校で私はいじめっ子たちに、蹴られ殴られまくっていました。
家に帰り、もう死にたいと思って、ずっと泣きました。その日から3日間くらい学校に行きませんでした。そして、ある日、家のインターホンが鳴り、出るとそこには大会を終えたA君が「お土産を渡したいんだ」と言って私の部屋まで来ました。
二人きりになるとA君が「なあ(私の名前)、最近元気ねえじゃん、なんか嫌なことでもあるんか」と言いました。私はもうどうでも良かったので「ほっといて!もう話さないで私はA君のせいでいじめられているの」と言ってしまいました。もうどうでも良かった。死にたい思いだけしかなかった。沈黙が続いたあと、涙であふれる私の顔をA君がタオルで拭いてくれました。A君を見るとA君は静かに涙を流していました。A君は「これまでたくさん(私の名前)と一緒に遊んできたりしたよな。俺もたくさん(私の名前)をかわいがってきたよ。軽い意地悪もした。(私の名前)をいじめてもいいやつなんかどこにもいない。俺が絶対に許さない。誰がいじめてるんだ。」泣きながら言ってくれました。私はこれまでのこと全部を話しました。横で聞いてくれたA君は「ありがとう。ちょっと明日は俺と学校に行こう」と言って私の頭をポンと触り、私の部屋から出ていきました。その後、A君が私の母にこれまでのことを言ってくれたそうです。
翌日、学校に行きたくなかった私は、家で待ってくれたA君を見て、気持ちが若干晴れました。学校に行く途中、A君は「なんで、これまでのこと黙ってたんだよ。もっと早くから俺に言っとけばこんなことにはならなかったぞ。大丈夫、俺が(私の名前)を守ってやる。安心しろ。」と言ってくれました。
その後学校につき、ホームルーム前の朝読中、A君はブチギレた様子で私のクラスに入ってきて、「おい、(私の名前)をいじめてたやつ全員出てこい」と怒鳴りました。それにビビった、2、3年生、男女合計12人のいじっめ子たちにA君が「おまえら俺がおらん間、俺の女に手出しとんな」と説教しました。
その事があって以来、いじめはなくなり、私はこれまでの自分になることができました。誰も助けてくれなかった私をすぐに助けてくれたA君が本当に大好きです。私は今、元気に大学に行っています。A君は私と違う高校に行き、専門学校を卒業し、今は立派な消防士です。私を救ってくれたヒーローが本当に大好きです!!

最悪ないじめと、最高の親友
主ないじめは中学校1年から3年の7月頃まででした。
いじめの原因は、ただ気に入らないとのことでした。
主にいじめてきた人をA君とします。
腕や足を殴ったり蹴ったり。痣ができる程です。
椅子や靴に画鋲を入れられたり、ノートを破かれたり、上靴を隠されたり。
便乗して、他の人達もいじめきました。それが中学1年ずっと続きました。
中学2年になると、A君とは別のクラスになりましたが、わざわざ私のところにきて、殴ったりしてきました。
私は、強い敵意を感じました。
でも、親に言えませんでした。
中学校3年になると、なんとA君と同じクラスだったんです。
「うわ~。最悪。」と思っていると案の定、1年の時にしてきたような事をまた始めました。
我慢我慢とずっと思っていました。
でも、それ以上にもっと最悪な事がはじまったんです。
隣の組にヤンキーの子達が勢揃いしていて、私のいるクラスにも休み時間や授業中乗り込んできて、A君に殴られたりする私を見て、便乗してきたんです。
頭をしばかれたり、殴ったり。
周りの人達は、私をかばってくれませんでした。
まぁ、かばったら自分がターゲットになると思う人が多いと思います。
それが中学3年1学期まで続いていました。
本当に学校に行きたくなかった。
親は凄く怖かったので言えなかった。
本当にどうしたらいいかわからなかったんです。
敵意はいつしか、自殺願望にこの頃変わっていました。
死ねたら楽だろうなって。
私は全く勉強もできなかったので、中学校3年の夏休みから遅いながら塾に行きました。
すると、便乗してきていたヤンキーの1人もそのときに一緒に塾に入ってきたんです。
あ~。A君がいないと思っていたら、次はこの人か。と、もう最悪でした。
そのヤンキーの人をB君とします。
塾で会うと「うざい!消えろ」「死ね」や、殴ってきたりもしました。
「塾生活も最悪だな~。」って思っていたある塾の日、塾が始まる前は晴れていたのに、帰りは大雨で、B君の家は自転車で30分かかる遠い場所で傘もなく塾の前で立っていました。
私も傘はなかったですが、家まで歩いて3分でした。
その時ほっといたらよかったんですが、何故か私は、B君にむかって「家くる。雨がやむまで。俺のこと嫌いやと思うから、家が嫌ならダッシュで傘もってくるよ!」と伝えていました。
するとB君は、「いいの?家遊びにいっても。」って言うてきました。
私は「遊びにではなく、あやまどりとしてきてくれたらいいよ。」と伝えると、B君は小さく「ありがとう」って言っていました。
親に事情を説明し、B君にタオルを渡して私の部屋にいきました。
するとB君がいきなり、「ほんまにゴメン!ほんまゴメン!色々してきたのに。ほんまにゴメン!」って謝ってきてくれたんです。
しかも泣きながらでした。
B君は「お前の事何も知らんのに、嫌なことしてほんまにゴメン。お前Aにいじめられてるんやな?」と聞いてきたので、「多分いじめられてると思う」と言いました。
親にばれたくなかったので、小さい声で話していました。
するとB君は、「こんな俺が今更やけど、2学期から俺がお前を守ったる。」って言ってきたんです。
でも私はもう人を信用する気持ちはなく、「なんか、ありがとう。でも今までされたことは忘れない。」とB君に伝えると「俺がお前を信用してる、だから守る」と、言ってきました。
その日は、親が勝手にB君の晩御飯も作ってしまい、車に自転車を積みB君を家まで送っていきました。
2学期が始まり、B君が隣のクラスから来たとき、私はA君に殴られていました。
すると、B君は凄い剣幕で、「俺の親友になんしてんねん!」と、A君に飛びかかっていました。
まわりの人も、B君のまわりのヤンキー達も、びっくりしていました。
だって、1学期まで私をいじめていたB君が、いきなり私を守ってくれたんですからね。
涙が出ました。初めて守ってくれる人がいる安心感。B君にも色々されてきたけど、守ってくれた。
A君は、逃げていきました。
B君のまわりのヤンキー達はB君に「B、お前どうしてん?お前も前まで色々してたやん。」っていうと、B君は、「いじめてた時は、こいつ(私)のこと何も知らんといじめてた。こいつ、めちゃくちゃ良いやつやで。俺こいつに、恩あんねん。」と、言っていました。
すると、まわりのヤンキー達は「Bの親友なら、俺らもAから守ったるわ。」って言ってきました。
そこからです。休み時間ずっとそのヤンキー達は私のところに来るんです。A君を近付けないように。
ヤンキー達は「休み時間しか、傍にいれへんけど、ごめんな!嫌なことされたら、俺らに言いにこいよ!」と、言ってきてくれたんです。
ある日、ヤンキー達が、「俺らと友達になるのは無理やんな?お前と話したりしてたら、いい奴ってほんまに分かった。色々今までしてしまって、ほんまにゴメン。」と、謝ってきてくれました。
私は条件を出しました。
「絶対人に嫌なことしないなら」とだけ伝えると、ヤンキー達は「わかった!」っ、言って、「ほな、今から友達な!」と笑っていました。
中学校卒業まで、B君達はずっと守ってくれました。最初いじめの加害者だったB君達でしたが、何故かいじめられた記憶より、守ってくれた喜びが大きく、B君とは別の高校になりましたが、今も約20年親友としていてます。
今でも、B君は「中学校の時、ほんまにゴメンな!」と謝ってきます。
私は、「もうとっくに許してるよ。あの時は助けてくれて、本当にありがとう。」と毎回伝えています。
B君、始まりは最悪でしたが、今は最高の親友です!ありがとう!

本当の友達
私は3度に渡っていじめを受けてきました。1回目は小学5年生の時、複数の男子から「キモい」「調子に乗ってる」など、何かといじめの口実をつけられ暴言・暴力を受けました。毎日足を蹴られ、打撲痕で足全体が紫色になっていました。
2回目は小学6年生の時、学校でいじめっ子で有名な生徒たちに目を付けられ、私の肌が弱く荒れていたことを理由に「キモい」「うつる」「菌」などと呼ばれるようになりました。ひたすら嫌な暴言を言われても無視して耐えてきました。担任は「クラスメイトと仲良くしろ、友達少ないやつは社会でやっていけない、クラス目標の『協力』に背いている」などと私を呼び出し全員の前で何度も怒鳴り付けました。そんなわけで自分を全否定する担任にいじめを受けていることなんて相談できませんでした。
3回目は中学の部活での時、部活で上位ランキングのグループから「下手くそ下手くそ」「やめろ」と言われ続け、そのグループの仲間の下っぱを試合で倒した時、「あんな下手くそに負けた」「死ね」などと泣きながら暴言を吐き捨てられたのを今でも覚えています。
しかし高校生になったとき大きく環境が変わりました。私はもう一度ちゃんと部活がやりたいと思い入部しましたが、人がとても怖く話すこともなかなかできませんでした。でも、チームメイトは何度も話しかけて来てくれ、こんな私を受け入れてくれました。彼女たちと練習などで共に過ごしていくにつれて、私は本音で会話をすることができるようになりました。そして初めて本当の友人ができました。数えきれないほどの思い出をもらいました。彼女たちは私の命を救ってくれた恩人であり、かけがえのない友人です。
将来はいじめを早期発見し解決する警察官になって、友人たちが私を救ってくれたように、見えないところで苦しむ人々を救いたいです。

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