「何がいじめか」定義の受け止め方にギャップ ①

2025年6月30日

深めよう 絆 にいがた県民会議
座長 橋本 定男

何がいじめか。様々なとらえ方があります。一般的に基になるのは法律(いじめ防止対策推進法、2013年6月公布)です。その法の定義の受け止め方にギャップが横たわっているようです。ギャップをみつめると、いじめ問題の根深さがみえる気がします。
過去と現在の定義を比較してみましょう。上は文部科学省が調査する際に用いた、今と違う古い定義(2006年以前)。下は法の定義です。いじめのとらえ方に違いがあります。その違いに注目です。

[2006年以前の文部科学省]

いじめとは「自分より①弱い者に対して一方的に、身体的・心理的な②攻撃を③継続的に加え、相手が④深刻な苦痛を感じているもの。なお、起こった場所は学校の内外を問わない。」とする。

[いじめ防止対策推進法 第2条]

いじめとは「児童生徒に対して、当該児童生徒が在籍する学校に在籍している等当該児童と一定の人的関係にある他の生徒が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通して行われるものを含む)であって、当該行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの」をいう。

旧定義(以下、旧)と法の定義(以下、法)の違いは4つ。旧と法ではいじめのとらえ方(根本にある考え方、理念)が違います。違いをみたときに、もしも胸にわいてくるものがあれば注目です。ギャップはそこにあるかもしれないからです。
違い①:旧の「弱い者に、一方的に」が法にない。優劣は固定されない。
違い②:旧の「攻撃」が法では「影響」。加害側の意図は関係ない。
違い③:旧の「継続的に」が法にない。継続・反復は関係なく1回でもいじめになる。
違い④:旧の「深刻な」が法にない。被害の軽い、重いで判断されないとする。
どうでしょう。特に②、③、④。「1回でもいじめ、軽くみえてもいじめ、加害側の意図は問わない」に対し、え?と胸がざわつき、どこか違和感がわいたという人を想像します。こどもの多く、大人も多くが、実際には旧の定義でいじめをとらえていると言われています。「一方的に、継続して続け、深刻な苦痛を与えるものがいじめ」という旧のとらえ方をもっていれば、法は違和感をもって受け止められることになります。ここでギャップが生まれます。違和感が強ければ「受け止めない」になりかねません。この違和感は、胸の根深いところからわいてくるのではないでしょうか。
ギャップの核心は、いじめを『被害側が苦痛を感じるもの』とするとらえ方と、法の理念が『被害側に寄り添っている』と解釈できるところにあると考えます。そこで本稿を次回に続け、深掘りし、ギャップをどう乗り越えるか考えたいと思います。