「いじめられる側にも問題がある」にどう応えるか
~問題は誰にもある。いじめる理由にならない~

2025年3月26日

深めよう 絆 にいがた県民会議 座長 橋本 定男

いじめ問題を考える上で大人も子どもも避けて通れないテーマがあります。「『いじめられる側にも問題がある』をどう考えるか」です。強く思うのは、大人が子どもに向かってこれを話題にする必要が生まれたとき、どう話しかけるかということです。そこで、話す内容のヒントになればと、ポイントを3つあげてみようと思います。

ポイント1 事態悪化の想像

想像①いじめ問題に対応する会議で、ある先生;「その子に〇〇という問題がある。その問題を何とかしなければ解決しないのではないか。」

想像②面談で、加害者とされた子の親:「うちの子ばかりが悪いのでしょうか。そのお子さんにも問題があるのではないでしょうか。」①も②もよくある例です。悪化に向かう例です。

想像③やっとの思いで相談にきた子どもに担任や大人;「あなたにも原因があるのだから…」こう言われたらその子は望みを絶たれたと思うに違いなく、深刻化します。
『いじめられる側にも問題がある』とする考え方に根ざす言動は事態の改善・解決につながることは決してないと考えます。よって対応する基本は、”否定”、NO!です。

ポイント2 応えるための視点

その基本の上で、子どもを前にどう対応するか。大切な視点が2つあります。

視点①『いじめられる側にも問題がある』という加害者側の見方をどうとらえるか
ここで大人がアタマから「それはおかしい」と否定すると、リアルが飛んで反発が生まれやすくなります。「『問題』はあるかも」と思う子どもは多いからです。加害することへ寄る思いを放ってはおけません。自分事として考えること、考え合うこと・対話を通して『問題』のとらえ直しを図る必要があります。ポイント3へ続けます。
次が大人の出番です。視点②をもって子どもの前に立つことが重要だと思います。

視点②『いじめられる側にも問題がある』は、いじめをする理由になるか
ここで大人が明確に(アタマから)「それはだめだ!してよい理由にはならない」と断言すべきだと考えます。理由にならないことの理由を子どもの心に届くように、大人が自身の人生を糧に語ることが求められます。どんな問題、どんな原因があっても、絶対にいじめる理由にはならない、この納得をつくれるかどうかです。

私は学生に「この断言ができないなら先生にならないでほしい」と言っています。

ポイント3 対話し、考え続けたい課題

本テーマの本質は、加害者側の考え方もさることながら「人間関係づくりや集団形成における個々人の『問題』をどうとらえるか」にあると思います。大人と、子ども同士で対話し自分事として考えを深めていってほしい課題です。例えば次のように。
〇『問題』は誰にもある。自分にもある。『個性』ととらえ認め合うようにしたい。
〇自分を多数の側(メジャー)に置いて少数側(マイノリティ)をみていないか。

本テーマは、いじめ問題を考える上で第一歩目にある問いです。そして【これからの多様性の社会を生きる】知恵を磨く教材でもあると思います。是非、有効活用を。