「子どもを守る」もう1つの視点
2024年11月1日
深めよう 絆 にいがた県民会議座長 橋本 定男
いじめ見逃しゼロ県民運動は、詰めて表せば『社会全体で児童生徒を守り育てる気運を醸成する』(県民会議設置要綱から)運動です。もっと詰めて言えば「大人が子どもを守る運動」になると思います。
この「守る」について自分なりに(私見として)考えてみます。
まず、いじめ問題など理不尽で苦痛な状況に子どもが陥ることを防ぐこと。辛い状況にあるなら少しでも早く見つけて改善・解決するよう、また悪化させないよう対処するなど、大人が子どもを『危機から守る』意味です。対処的に向かうだけでは後手になるので、次は”攻める「守る」”です。それは『問題状況を起こりにくくして守る』です。3点あげます。①子どもをよく[見守る]ことで、いじめになる前の段階でトラブルや乱暴な言動などを見つけ、早めに対処する(いじめの芽をつむ)。②子どもが心安らかに明るく過ごすことができる「安全で安心な環境」をつくる。③子どもが互いに認め合い、思いやりをもって関わり合うことができるように心(社会性や道徳性)と人間関係を育てる。
こう考えてくると「守る」は、本当は日常が勝負ではないかと思えてきます。危機から守る、先手を打って守る、を基本にしてその上に『日常レベル・日々の営みにおいて子どもを支え励まして守る』があると思います。大人一人一人が、それぞれの場において子どものために自分に何ができるか考え、一つでも始める、一歩でも前に進む。このような意味の「守る」を大切にしたいと思っています。
さて、ここで以上を踏まえつつ視点を変えて「守る」を考えます。
「大人が子どもを守る」の主語は「大人」です。ここに注目すると違う側面がみえてきます。「守る」主体が大人となり、子どもは「守られる人」に。文章上つまり理念上、子どもは守られる側一方の存在になります。すると次の疑問や危惧が浮かんできます。子どもは守られる側にいるだけでいいのだろうか。危機に対して主体者として向かう側面はどうなのだろう。危機に対処するための学びは大丈夫なのか。子どもはこう考えている、こうしたいのだとかいっぱい言いたいことがあるのではないか。子どもこそ当事者として事に向かう主体者であることを見失いがちでは?
もう1つの視点、子どもが主体者という視点で「守る」をとらえることを強調したいと思います。すなわち『子どもが主体者となり、いじめなど不合理で理不尽な問題について自分事として考える。集団で合意形成できたら協力して動く。このことを大人が支え、励まし、育てる』という「守る」です。後半は主に学校が舞台になります。大人主体の「守る」と子ども主体の「守る」の両方でとらえる『複眼』が大切ではないでしょうか。子ども主体の「守る」について議論が足りないように思います。
いじめ問題未然防止の最強の”助っ人”は子どもたちです。大人がその気になり、子どもたちもその気になり、共に手を取って立ち上がる、このタッグこそ最強・最大の武器に違いありません。子どもたちを信じて「守る」を考えていきたいものです。
補足;その子どもたちの有志が本県民運動の事業の一環としてステージ上でディスカッションします。ご参観下さい。配信ありです。11月16日(土)深めよう絆県民会議「県民の集い」;メディアシップ14:40~ (県教育庁総務課ホームページ参照)
https://www.pref.niigata.lg.jp/site/kyoiku/kinennibennto.html
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